「ニセコラボ。」開催レポート
共感でつながる、共感からうまれる。
地域と経営者の出会いをニセコ町が創出。
ニセコ町とワンストップビジネスセンターは、2019年末にワーケーション推進のための連携協定を締結しています。この協定をきっかけに、両者は多様な働き方や、地方都市と企業やフリーランサーのつながり強化を推進してきました。2023年10月に行われたニセコ町の新たな取り組みにも当社は賛同し、協力を行いました。ニセコ町のビジョンに共感する方がニセコ町と出会うことを今後も支援していきたいと考えています。
全国各地の起業家がニセコ町に集い、これからを考える
北海道ニセコ町で初めての取り組みが行われました。その名も「ニセコラボ」です。
ニセコ町は数ある町の中でも、珍しく人口増加がみられる町です。ただし、人口減少が各地で進む日本において、ニセコ町も例外ではなくいずれ減少へ転じることが見込まれています。こうした環境下で、ニセコ町は町内外の事業者との「協働・共創」の機会づくりを進め、住民や町に関わるすべての人たちが安心して心豊かに暮らし続けることができるまちづくりを目指してきました。
「ニセコラボ」は、「協働・共創」の機会づくりの一環としてのニセコ町と企業のコラボ実証実験の取り組みです。
町長や副町長との交流、既にニセコ町へ進出している企業との交流会、ニセコ町のまちづくりの取り組みを現地視察し、課題をふまえ共感を前提にコラボレーションしながらビジネスの力で解決を目指していくためのプロジェクトです。
今回、ワンストップビジネスセンターからは会員さま向けのお知らせのご案内と、当日の帯同・本レポートという協力を行いました。ニセコ町は魅力にあふれた観光都市ですが、それだけでなく地場に根付いた経営者・企業からは、素晴らしい経営の学びがあります。ワンストップビジネスセンターの会員さまにとって、事業のヒントがあったり、ニセコ町でのビジネスのきっかけになったり、という何らかの機会になれば幸いです。
当社からご参加いただいた会員さまの声
株式会社AtHumanVision
大川 寛志さま
イベント業・セールスプロモーション業などを展開する大川さんは、もともと首都圏で暮らしてきて、地方で暮らしたことはありませんでした。コロナ禍で事業を多拠点展開をすることになり、名古屋・仙台・福岡・札幌などでの生活を経験したそうです。
地方での生活を経験する中で、人をその地に呼ぶ活動や、埋もれた名品を違う土地で売ったりすることに興味が湧いたそうです。ニセコラボ。への満足度は高かったようで、「これが何かできるきっかけになれば嬉しい」と仰っていました。
エファード株式会社
立石 圭太さま
電子機器・部品の設計・製造を展開する立石さんは、北海道ご出身。中学校までを北海道で過ごし、上京されました。今では都内に本社を持ちながら、サテライトの立地も札幌という、北海道との深いご縁を持っています。
56歳になられたことを機に、60歳を迎えることに向けて、あたらしいことをはじめようというチャレンジの一環としてご参加されました。
WAYOUTカンパニー株式会社
吉田 理宏さま
経営コンサルタントとしてのお仕事をされている吉田さん。きっかけはやはり当社からのご案内だったとのこと。北海道での事業のヒントになるかとご参加されましたが、ニセコ町のビジョンに非常に共感されたとのことでした。
「聞いたことのない観光地」ランキング
常連から「小さな世界都市」への変貌
片山町長によると、30年前のニセコ町は「聞いたことのない観光地」ランキング常連だったとのこと。観光領域の民間出身の町長が地元と手を取り合ってつくってこられた、議会や役場の顔色を見ないで意思決定できる体制づくりについてお話いただきました。
こうしてニセコ町はSDGsにも掲げられる「誰一人とり残さない」を実現しようとする「小さな世界都市」への変貌を遂げました。かの有島武郎がニセコの地に芽吹かせていった「相互扶助」の意識。住民と自治体が当事者意識を持ち、町をどうつくってきたかという自治・つながり強化の視点は、企業と自治体のコラボレーションにおいても大きなヒントとなるでしょう。
ニセコ町に移転で最高益を連続更新も実現。
企業とのコラボ事例
ニセコ町では行政と住民がそれぞれ出資し、住民が株主のジョイントセクターを設立してきています。ニセコリゾート観光協会や株式会社ニセコまちなど、他の自治体に類を見ない取り組みがいち早く行われてきました。そのため、ニセコ町では企業とのコラボ事例は既に先例が多くあります。
株式会社ルピシアは、2005年頃には保養所設置などの縁があったそう。「メーカーは東京にいる必要がないんじゃないか」と当時からルピシア社は考えていました。関係を育んだ結果、2020年にニセコ町へ本社移転しました。ルピシアはニセコ町に移転後、最高益を更新し続けているとのこと。
現在では、地場の産品をつかった製品を発売したり、従来本州でも北関東エリアが限界だと言われていたお茶の生育の北限に挑戦するプロジェクトをニセコ町で行っています。
「ニセコ蒸留所」を設立
新潟に本社をかまえる八海醸造株式会社は2019年に「ニセコ蒸留所」を設立しました。ニセコ町が土地を貸す形で企業との連携が実現しています。進出先選定の決め手は、ニセコ町が策定している環境基本計画でまもられている清らかな湧水です。ニセコアンヌプリが蓄える湧水は、町内の住民のみならず、さまざまな事業者にとっても重要な資源となっています。2021年に仕込まれたウイスキーの発売日は未だ確定していないそうです。ウィスキーの出荷に先立ちクラフトジン「ohoro」を販売しています。
株式会社北海道ライオンアドベンチャーの誕生は、長野にある「白馬ライオンアドベンチャー」からはじまっています。2006年に出張で支店展開していた当時の支店長が2017年に独立・のれん分けする形で「北海道ライオンアドベンチャー」が発足しました。ニセコが持つさまざまな観光資源を活用し、アウトドアの機会を提供しています。
ニセコ町には近い未来、新幹線が開通予定です。札幌から25分、新千歳からは40分ほどでアクセス可能になる予定です。今後も多くの観光客が訪れることが予測される中、企業の進出・地場での起業はさらに加速するのではないでしょうか。
コロナ禍には売上は半分に。再起を実現した高橋牧場
牧場経営に携わり50年、高橋守さんはニセコ町のこれまでと今を支えて来られています。高橋牧場は「牛乳に付加価値を」と行動・変革した六次産業化の成功事例として全国でも語られます。酪農における経営課題は牛乳需要の読めなさ。せっかく生産しても廃棄しないといけないこともあり、相談を持ち掛けた北海道農政部の部長からの助言をもとに経営改革に着手し、髙橋牧場の今の姿があります。
以来、経営の柱を増やして価値を高めてきました。コロナ禍には売上が半減した時期もあったと言いますが、今ではコロナ前よりも人が集う場所になっています。高橋社長に経営や、変革実現の秘訣を伺ったところ、その変革の道のりの中には従業員や町の人々との出会いと創出が根底にあったと言います。人との出会いで自分の人生が変わったので、人の力を信じてこれからもやっていくとおっしゃっていました。町の要職も担いながらも、現場で作業服を着てトラクターに乗っている瞬間が何よりも幸せと、「ニセコラボ。」の一行が訪問した日も、直前まで畑を起こしていたそうでした。
ニセコ町の今を盛り上げ、これからを支える高橋父娘
ニセコ町はちいさな町ですが、こうして人と人のつながりが非常に強く、互いを尊重し、対話によって課題を解決しようという姿勢がみられます。髙橋守さんの娘さんもまた、人と人とのつながりを大切にしながらニセコ町のこれからを支える、大事なキーパーソンです。
NPO法人ニセコ未来サポート隊、高井裕子さんは家業である高橋牧場で20年ほど仕事してきました。NPO立ち上げのきっかけは「株式会社だけではやれることが限られる」と感じたこと。保育サービスの立ち上げ・子どもの遊び場整備など様々なプロジェクトを遂行して来られました。NIS-ECO(ニスエコ)PROJECTという、ニセコ町の自然や資源が未来につなげられる状態でありつづけることを目指したサステナブルプロジェクトを主宰しています。
https://nis-eco.com/
こうした自治の意識が活気あふれるニセコ町の姿を支えています。
「いわゆるふつうの役場」が世界で耳目を集める自治体となるまで
「ニセコラボ。」の中でも印象的だったのが、山本契太副町長のことばです。平成元年、ニセコ町と役場はいわゆる「ふつうの役場」だったそうです。逢坂誠二前町長が改革に着手し、現町長が定着・加速させた異質な役場づくりでは、住民参加を推奨・保証し、情報共有を推進しています。
改革を続けた今では、「ニセコ」が世界に知れ渡り、ブランド化できるまでの町になりました。この変貌は、民間企業にとっても学ぶべきものが多くあると痛感しました。
みなさんも是非、ニセコ町に出会い、共創の価値を体験してみてください。